つい先日、東京都知事の舛添要一さんが辞職しましたね。

日本は総理大臣がコロコロ変わる国としても有名ですが、最近は都知事もよく変わっている印象を受けます。

舛添さんに関しても任期を全うしての辞職ではなく、不正がばれての辞職ということで、

やはり多くの方が政治に対して良いイメージを持たれていないのではないでしょうか?

政治は僕たちの生活に大きく影響しますから、「しっかりしてくれ」という思いの人も多いと思います。

 

しかし。

 

政治家によって本当に僕たちの生活は変わるのか。

政治家に頼った生き方をしていていいのだろうか。

自分の幸せは誰が作り出すのか。

 

今回は、政治と僕たちの生活の関係を深く考えてみたいと思います。

都知事 生活

都知事が変わるとどうなるの?

皆さんは政治に対してどのようなイメージがあるでしょうか?

選挙にしても投票率はかなり下がっていますし、若い世代を中心に政治に関心がなくなっていると思います。

そのため、この間の参議院選挙から選挙権を18歳以上にするなど、

どうにかして多くの人々が政治に興味を持つようにとの努力が感じられますね。

若い世代を中心に政治に関心がなくなっているのは、

舛添さんのように政治家は不正を行うものだという先入観やイメージがあるからだと考えられます。

たしかに、舛添さんを含めこれまで多くの政治家が不正やスキャンダルで辞職するというニュースをよく見てきました。

国民の生活を守るはずの政治家ですから、そういったことは絶対にあってはならないことですよね。

しかし、舛添さんが辞職し新しい都知事に変わったとして、僕たちの生活はガラッと一変するのでしょうか?

もしも次の都知事が不正など一切せず、言葉も物腰も柔らかい清潔で品の良い素晴らしい人になったところで、僕たちの暮らしは豊かになるのでしょうか?

僕ははっきりと、「ならない」と言うことができます。

その理由は、「誰かに依存した幸せは長続きしない」と考えるからです。

幸せは他人が作ってくれる?

舛添さんの不正が公になりマスコミに追い詰められている時、僕はニュースでこんなシーンを見ました。

それは記者会見の映像だったのですが、ある記者が舛添さんに

都知事がそんなことしてて都民は幸せになれるんですか?

と質問していたのです。

僕はこれを聞いた時、

こういう考えで生きている人は本当に幸せになれるのかな

と、少し寂しい気持ちになりました。

舛添さんが不正ばかりしているから私たちは幸せになることができない

これは言い方を変えれば

私たちは舛添さんに幸せにしてもらっている

ということになりませんか?

自分の人生なはずなのに、他人の行動によって幸せが決まるというのは何だか変だなあと僕は思うんです。

たしかに舛添さんは都知事という立場ですし、都民の生活を守るという点では一般人とは立場が大きく違います。

制度や条例も変えることができるのですから、都民の生活を担っているともいえるでしょう。

しかし、もし舛添さんが不正を一切しない潔白な都知事だとしても、

僕たちには同じように明日が来て同じように仕事に行き、

いつも通りのルーティンワークをして時間が経って家に帰ればご飯を食べてゆっくりし、

そして明日のために体を休める。

誰が都知事になったとしても、僕たちの見える世界は何も変わらないのです。

会社に行けば給料をもらえると安心している、生活に不満があれば政治家に文句を言う、

都知事が不正をしたら自分たちの不幸はあんたのせいだと言わんばかりに怒りをぶつける。

このような生き方をしていて、いったい僕たちはいつ幸せをつかむことができるのでしょうか?

幸せは自分でしか作れない

誰が都知事になったとしても、僕たちの見える世界は変わらない。

先ほどこう書きましたが、見える世界を変える唯一の方法があります。

それは、「自分が変わること」。

どんなに美しい景色を見ても、どんなに高価なものをもらっても、どんなに一流店の料理を食べても、

その恩恵を感じるのは他でもなく、自分でしかありません。

それが幸せだと感じる人もいれば、全くそう思わない人だっているのです。

ということは、誰かが用意してくれた安定という名の道を踏み外さないように歩き、

その後たどり着いた場所に幸せが待っているかどうかなど、誰にもわからないということです。

もしも他人の意見だけを聞き、そしてその通りにやって失敗したとしたら、あなたは誰に文句を言うのでしょうか?

「お前のせいだ!」と言ったところで、失われた時間は戻ってきません。

都知事に文句を言ったとしても、最初から都知事に幸せを委ねることなどできるわけがなかったのです。

「都知事に幸せは委ねていないよ」と言う方もいるかもしれませんが、

普段の生活で他の誰かの意見に左右されて日々暮らしているという人は多いと思います。

他人の意見を聞き、そしてその通りに実行することは安心できるからなのかもしれませんが、

それを選択したことによってもたらされる人生を歩むのは、他ではなくあなたなのです。

だからこそ僕は、「他人に依存してはいけない」、

そして「他人の人生を歩んではいけない」と考えるのです。

僕たちは何にだってなれる

僕たち 幸せ

幸せは自分にしか作れないというと何だか一人で生きていかなければいけないような気がして寂しいかもしれませんが、僕は全くそう思いません。

それは、自分の人生は自分で選べると気付いたからです。

僕も元はといえばアパートと職場の往復の毎日で、その毎日の景色だけが僕の世界でした。

しかし勇気を持って一歩外に足を踏み出してみると、そこには知らなかった大きな世界が広がっていました。

その時僕は、自分で勝手に「辛い生活」を選択していたんだと、気づくことができました。

辛いと思ったら変えればいい、僕は単純にそう思うのです。

僕自身、仕事が本当に辛くて辞めてしまった経験があります。

そして、それによって苦労もたくさんありました。

周りからは「情けない奴」、「すぐに逃げ出した弱い奴」、「常識のない奴」など、いろんなキツイことも言われました。

「普通に働いていればこんな気持ち味わなくてよかったのに・・・・」

そんなこともしょっちゅう感じていました。

でも、そんな他人の意見や世間体よりも僕は自分で自分の人生を幸せにしたいと思い、仕事を変え、

ネットビジネスで人生を変えると決めて、紆余曲折はありましたが今のように自分で稼ぐ力をつけることができたのです。

もしも文句や批判をしてくる人が自分を助けてくれるのなら、その人の言う道を信じて歩んでもいいと思います。

しかし、選択した道の結果を背負うのは文句を言っていた人でも批判していた人でもなく、あなたなのです。

僕は自分の決断によって辛い経験もたくさんしましたが、他人の尺度で自分の幸せを決めなくて本当によかったと、今では心から思っています。

どんな生き方が正解だとか不正解だとかはありません。

まず、今あなたが生きている人生は、あなたのこれまでの選択の結果であるということに気づくことが大切です。

そしてそこから抜け出すのも留まり続けるのも、あなたのこれからの選択によってどうにでも変えていけるのです。

もしも今日死ぬとしても、今日やろうとしていることをあなたはやるか。

その答えがノーである日が何日も続くのならば、何かを変える必要があるだろう

このスティーブジョブズの有名な言葉を、僕たちはいつも胸に掲げて生きていきたいですね。

限りある一度の人生、あなたは何のために、どう生きますか?