今村復興大臣 失言

今村復興大臣の東北地震に関しての言動が、大きな話題になりましたね。

政治家は絶えずその言動が注目され、一つの失言が政治家生命に影響してしまうということもよくあります。

ですが、今回の件は僕自身も『さすがにな…』と思ってしまうほどの失言だったように思います。

今回は、そんな今村復興大臣の失言から考える言葉の力やその大切さについて、僕の考えを綴っていきたいなと思います。

今村復興大臣の今回の失言…

さすがにこの発言には、僕も耳を疑いました。

『まだ地震があっちの方(東北)でよかった。これが東京だったらすごい額に…』

というような発言だったと思いますが、これが政治家の発言だと思ったら本当に驚きですね。というより、人としてどうかなと思ってしまうレベルです。

政治家はその発言が逐一チェックされ、マスコミが一言一句メモを取り、少しでも間違いがあるようものなら鬼の首を取ったように一斉に叩かれる。国民を束ねる存在だからこそ仕方ないのかもしれませんが、報道の仕方にも少し問題がある場合も多いのかなとも思います。

ですが今回はさすがに、今村復興大臣が辞任に追い込まれるのもやむを得ないかなと誰もが思って当然の、失言でしたね。

たとえ政治家ではなくても

言葉 人生

僕たちは普段の生活の中で、政治家のように言葉を意識しているでしょうか?

その一言の与える影響がとてつもなく大きいことを理解して、言葉を発しているでしょうか?

もちろん、仮に失言をしたとしても叩いてくるのは身近な人だけだし、日本中に波紋を呼ぶほどの影響力はありません。言葉を間違えたとしても、『ごめんね』で終わるケースがほとんどでしょう。

でも実は、たとえ政治家ではなくても言葉の力ってものすごく大きい。そう僕は思っています。どんな言葉を使うのかは他人だけではなく、自分自身にも大きな影響を与えているのです。

常にポジティブな言葉を発する人の人生はポジティブに、ネガティブな言葉を発する人の人生はネガティブに。これは精神論でもなんでもなく、本当にそういうものです。

今回の今村復興大臣のように、政治家は失言によって国民から批判を大きな浴びますが、僕たち一般人もそれと同じで、悲観的な言葉ばかりを発することは自分で自分の人生を批判しているようなものだと僕は思います。

いい言葉に触れること

言葉 人生

現代はインターネットの普及によって、多くの人が主にブログを使って自分を発信するようになりました。僕が今やっていることもそのようなシゴトです。

ブログはオンラインなので、実際に筆者の顔を見ることはできない場合が多い。もちろん顔出ししている人もいますが、そうじゃないケースもありますよね。

となると、そこで一番重要視されるのは『言葉』です。大好きなブロガーだったり、またはTwitter上で大好きな人だったり。そういう人の言葉に触れた時、なぜだか心が癒やされたり、気持ちが落ち着いたり、自分の中の何かを代弁してくれたような、そんな気持ちの良い感情になることはないでしょうか。

別に顔が見えていなくても、その人から大きなパワーをもらう。その人の言葉に触れることによって、人生が変わることだってあるんです。

表現の違いや、語尾の違い。句読点の付け方や、イントネーションの違い。言葉とは、それをどんな風に使うかによって人生に大きな影響を与えてしまう、素晴らしくも、また悲しくもある一つの道具であると僕は思います。

最後に

その一言が日本中に影響を与えてしまう政治家。

日本中とまではいかないけれど、その一言が自分の人生に大きな影響を与える僕ら個人。

両者はまったく異なるけれど、言葉の大切さはどちらも変わりありません。

どんな言葉を使い、そして耳にしていくのかはとても重要であり、毎日しっかりと意識していくべきです。

今までそれを意識していなかったのなら、有名なブロガーのブログやTwitterなどを見て、その言葉に触れてみてはいかがでしょうか。

たった数文字の短い言葉で、あなたの人生が劇的に変わってしまうかもしれません。